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戦艦大和の黒板

太平洋大戦で沈没した大和


戦艦大和とは

太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年(昭和16年)
12月16日に就役。
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった
(司令長官山本五十六大将)6月上旬のミッドウェー作戦が
初出撃となった。
それから終戦後にアメリカ軍からの攻撃で大和は撃沈した。

その大和で使用されていた黒板
めいつに展示されています。

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戦艦大和の黒板見て
「漁民センター」県内初披露


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この黒板は艦艇済みで本物だそうです。
宮日にも記事が掲載されています。

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命がけで日本を守った人々。
未来に平和をどれだけ願ったことでしょう。

先日も北朝鮮がミサイルを発射して
今にも戦争が始まりそうな雰囲気。

戦争で亡くなった方々が残してくれた平和。
みなんで大切にしてきたのに・・・
本当に悲しくなるニュースが多くて嫌ですね。

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産経に詳しい記事がありました。



”さきの大戦の終盤に鹿児島沖で撃沈された旧日本海軍
の戦艦「大和」で使われていたとみられる黒板が、
宮崎県日南市にある。

元特攻隊員で平成16年に82歳で亡くなった
故・前田繁雄さんが海上で見つけたのを、長男の茂さん
(70)が引き取り、自宅で大切に保管していた。

繁雄さんは旧海軍の第33突撃隊「嵐部隊」の
隊員だった。戦後は漁業に携わった。

 昭和22年春、鹿児島県の甑島(こしきじま)近くで
海面に浮く黒板を漁船の乗組員が偶然、見つけ、
持ち帰ったのを繁雄さんが受け取り、自宅の
蔵の壁に掛けていた。

縦40センチ、横55センチ。
表面の緑色の塗装は一部はげているが、
裏面には「一号艦」「軍艦大和 第十九分隊長」とある。

繁雄さんは生前、茂さんにだけは
「あれは戦艦大和の黒板だと思う」と、そっと
打ち明けていたという。

平成26年に大和ミュージアム(広島県呉市)の鑑定を
受けた。「一号艦」は進水式前の大和の呼称で
「第十九分隊」は発電機などの整備を担当する
部隊を示していた。

同ミュージアムの元副館長、相原謙次さん(62)は
「分隊長が指示を伝えるのに使っていたようだ」と推察する。

黒板は、昨年9月から、日南市南郷町の施設
めいつ漁民センター」で展示されている。

「黒板の展示には、亡くなった大和の乗組員への
慰霊の意味もある。大和の存在を、この先も全国の
人には忘れないようにしてもらいたい」

繁雄さんの次男、重喜さん(68)は
「歴史の語り部」を前にそうつぶやいた。”

戦争体験者がどんどん減っていっています。
若い人たちは戦争って?と言う感じでしょうね。
私も実際に見たわけではないですが
無くなった祖父に話を聞きました。

戦争で無くなった方が残してくれた平和。
ずっと守り続けて行かないといけないですね。

この黒板はセンターの入り口に展示してあります。
めいつに行かれたら是非ご覧になって下さい。


#戦艦大和 #戦争 #黒板 #慰霊 #めいつ


 

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【2017/12/02 11:35 】
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