銀色の侍魂さんのブログをよく見に行きます。
先日FBで尖閣諸島の画像を見ました。 調べると・・・こんな事があったのですね ![]() ![]() 週刊ポスト20+ 件10月15日号のグラビア記事 「中国は自国地図で『尖閣諸島20+ 件は日本領土』と 記していた 動かぬ証拠」では、尖閣諸島が日本の領土 であることを示す証拠として1960年4月に北京市地図 出版社が発行した『世界地図集』に掲載されている 日本の「琉球群島」の部分を掲載した。 この地図には日本名で「魚釣島」「尖閣群島」と表記 されているうえ(中国名の表記は「釣魚島」)、日本と 台湾(中国)の国境線も、与那国島と台湾本島の 中間に引かれている。 ![]() 中国が尖閣諸島を日本の領土として認めていた ことを示す重要な証拠であるこの地図を前号で掲載 したところ、各地で大きな反響を呼んだ。 と言う物です。 この画像は永久保存。 「尖閣諸島について」「1972年外務省資料(PDF)」 http://www.worldtimes.co.jp/special2/ senkaku/senkaku.pdf 尖閣諸島が第2次大戦後も引き続きわが国の領土と してとどまることになったことに対しては、中国側も 従来なんら異議をとなえませんでした。 このように尖閣諸島を含む南西諸島は講和後も引き 続きわが国の領土として認められ サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき20年間に わたり米国の施政の下に置かれてきましたが、 沖縄返還協定により、昭和47年5月15日をもって これらの地域の施政権がわが国に返還されました。 (同協定によって施政権が返還された地域は、そ の合意された議事録において緯度、経度で示されて いて、尖閣諸島がこれに含まれていることは疑問の 余地がありません。) 以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の 地位をきわめて明瞭に物語っているといえましょう。 (3)中国側の文書も認めている 逆に、中国側が尖閣諸島を自国の領土と考えていな かったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に 基づいて米国の施政の下に置かれた地域に同諸 島が含まれている事実(昭和28 年12月25日の 米国民政府布告第27号により緯度、経度で示され ています。)に対して、従来なんら異議をとな えなかったことからも明らかです。 ![]() 中国側は、東シナ海大陸棚の石油資源の存在が注目 されるようになった昭和45年(1970 年)以後はじめて 同諸島の領有権を問題にしはじめたにすぎないのです。 げんに、台湾の国防研究院と中国地学研究所が出版 した「世界地図集第1冊東亜諸国」(1965年10月初版)、 および中華民国の国定教科書「国民中学地理科教 科書第4 冊」(1970 年1月初版)(第2図)においては 尖閣諸島は「尖閣群島」というわが国の領土 であることを前提とする呼称の下に明らかにわが国の 領土として扱われています。 ![]() ![]() なのに、どうして昔から決まっている事を 自分らの領土だと言うのでしょうか? 資源があるから。。。 しかし、ここは日本の領土です。 これだけ証拠が揃っているのに 何も言えない日本って?と思います。 竹島問題もそうですが・・・ 日本の政治家は何をやってるの?って聞きたい。 あの尖閣諸島の事件覚えてらっしゃいますか? 船長も釈放してしまい、罪を問わず。 これが逆だったら、日本人は即殺されている事でしょう。 どうして、中国何も言えないのか? 北方領土もそうですね。 日本の外交・・・しっかりしてよ ![]() 石原都知事の買い上げの話には本当に、そうなると いいなと思いながら胸が熱くなりました。 領土問題、一日も早く決着を付けて欲しいです。 |
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